タケルンバ卿ブログ

世界の片隅でだらだら生きる貴族の徒然帳

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社会の断絶という塹壕戦

 参院選も終わったので、ちょっと雑感をつらつらと。少し真面目なお話。

 選挙が終わると洋の東西を問わず、選挙結果に対する不満の言説が出てくる。陰謀論であったりとか、被害妄想であったりとか。最近ではアメリカでのトランプ不支持派とか、今回の日本の参院選における参政党不支持派に顕著に見られるのだけれど、学歴とか教育レベルとか知性とか、そういったものが低いから「トランプは勝った」「参政党は勝った」というようなものがある。高学歴であったり、知性派であることを売りにしていたり、そういう属性である人に限ってよくする主張パターン。

 でだ。こういう人たちは「トランプが」「参政党が」社会の分断を作っている的な主張をセットですることが多いのだけど、あなたがしている主張も社会の分断を作っているのではないか? というのが今回の主題。学歴とか教育レベルとか知性とかが足りない人が投票する。だからトランプが勝つ、参政党が勝つ。そういう主張を自称学歴が高い・教育レベルが高い・知性が高い人が行う行為は、自称高い側の人たちの陣地に「僕ちんは低い人たちとは違うもんね」という塹壕を作るようなもので、自らが批判する「社会の分断を作る」ことに逆側から参戦しているだけな気がしている。結局のところお互いに塹壕戦を展開しているだけの気がしている。

 本当に知性的であれば、如何に自分が気に入らない主張を人がしていようとも、その主張者の知性が劣るかのような個人攻撃をするはずがない。むしろ本当の智者は、相手が何故そういう主張にするように至ったかを読み解いて、ではどうすれば自分の主張側に近づいてくれるかに思考を巡らすはずだし、自分と相手の間に壁を作って批判をするようなことはしないはず。選挙であれば意に沿わない投票を批判する暇があったら、如何に自分側への有効票を積み上げられるかに思考を移す。啓蒙だろうが洗脳だろうが、自分側を多数派にすりゃいいのだ。

 結局のところ問題は、自称学歴が高い・教育レベルが高い・知性が高い人の他責思考であり、ニセエリート思考ではないか。本当のエリートであれば正しい方向に皆を導けるようどうすればいいかを選択すべきで、人を馬鹿にすることではないはず。人を嘲るくらい自分の位が高いのであれば、嘲る対象を操ってこそエリートだ。逆に言えば、嘲る・馬鹿にする対象の人たちすら操れないようで何がエリートだということ。エリートとしての能力が低く、エリート足り得ないから反撃される。そしてそれが気に入らないから批判する。それが他責思考で良くないという話だ。

 「ノブレス・オブリージュがない」という話でもある。エリートとしての自覚がないという話でもある。どういう振る舞いをすると大衆が支持をし、逆に既に他のものについて熱狂している大衆を振り向かせることができるのかという話だ。ここに頭が行かずして、ある対象を批判したところでできるのは陣地前の深い塹壕であり、それに対抗して相手側にも作られる塹壕同士の戦いである。アメリカでのトランプ批判や、ここ数日の参政党批判を見ていると、どうも自称知性派の偏った批判が気になる。その批判の反発で事態はより悪い方に向かっているのではないか。そしてその計算すらできないのか。であるならむしろ愚者はあなたではないか。

 社会の片隅にいるディベーターとして、個人攻撃はしたくないなあと思ってこんなことを書いている。論を憎んで人を憎まず。